週末!30歳カウントダウン

スーパーつぶやき

呪術廻戦おばあちゃん

 
中学の頃の話。
 わたしの出身中学は公立のマンモス校で、ひと学年300人近く生徒が在籍していた。その中で成績をぶっちぎり一位をとる男子の友達がいた。彼はすごい。勉強だけでなく部活も頑張ってたし、クラスで1番かわいい女の子と付き合ったりしいた。話も面白いし、もうホントホント無敵だった。
 そんな彼が1番好きな食べ物が「卵かけご飯」ということを知った時、大爆笑したのをよーく覚えてる。彼はわたしから見て完全なるサイボーグだったのだが、好きな食べ物が「卵かけご飯」ということを聞いて、この人も人間なんだなぁ〜という安心感と意外性から生まれた大爆笑エピソードは、涙を流しながら大笑いした記憶がある。
 シラスを乗っけると美味しいよ、と追い討ちで言っていたのも覚えてる。やかましやい
 
 
 そんな彼との話の中で、今でも忘れられない不思議な会話がある。大人になった今でも思い出す。
 
 
 どういう話の流れだったか覚えていないが、彼はおばあちゃんが苦手だと話を聞いたのを覚えている。理由を聞いたところ、「風邪をひくと、タンスからプルーンを取り出して痛いところに塗られる。」と。(!?)
彼は面白い話だろ、みたいな顔でヘラヘラしていたが、こちとらびっくりして何も言えなかった記憶がある。
 
病気(今回は風邪だけど)はお薬を飲んだり手術をするやり方でしか治療できないと思っていた私からすると、このプルーン治療法の感覚が分からなかった。
 
当時それを聞いたわたしは、彼のおばあちゃんは「魔女だ」と思った!
好きな食べ物を卵かけご飯と聞いて安心していたが、やはり彼は一般人と何かが違う。彼の家には魔女がいる…!サイボーグの先祖は魔女だったのだ。
 
 
 居ても立っても居られないホットニュースは、友達に言う!あんまり表沙汰にしない方がいい話題かもしれないという勘から、本当に仲の良い友達に下校時にこっそり言った。「彼は風邪をひくと、おばあちゃんにプルーンを塗られるらしい。こわくないか」と。
 しかし友達はわたしの迫真の表情をスルリとかわし、あーーとゆっくり頷きながら「うちは、頭が痛い時、おばあちゃんに梅干しをこめかみに貼られたことがあったなぁ」と言い出した。
そのとき、あれ?もしかして風邪をひいた時に食べ物を皮膚に塗りたくることって普通なのか?と真剣に考えた。
 
 
そうだ。よくよく考えたらわたしも4〜5歳の頃、喉の痛みがひどく苦しい思いをした時に、おばあちゃんにタオルで包んだネギを首に巻かれたことを思い出した。身の回りにあり、親しみのある食べ物が「薬」になることに当時は目を輝かせた。熱が出て体もヨロヨロ、心も寂しかったあの時に、優しい手つきでおばあちゃんが首にネギを巻いてくれたあの感覚を覚えている。当時のわたしはとっても嬉しかった。クソガキのわたしのことだから、鼻水を垂らしながら「ねぎだ」って喜んだと思う。
 
 
 プルーンだの梅干しだの言うけれど、案外こういう「おまじない」的なものは、家庭それぞれ(特におばあちゃんの知恵の中)に存在することなんだなぁと思ったのである。このおまじないは、ごく普通の考え方なのだな、と。彼のおばあちゃんだけが魔女ではないのではない。きっと全国のおばあちゃんそれぞれおまじないを使っているもんなんだな、と納得した。
 その確信が持てた後、友達に「そういやわたしはネギ巻かれたわ」と、おばあちゃんにネギマフラーのおまじないをかけられたことを打ち明けた。そうすると友達は、この世に存在しないものを見るような顔で私のことを見て、「ないわ」と呟いたことを覚えている。お前もや!梅干しこめかみに貼ってたくせに!
 
 
 
 
ふと、頭の中によぎる、この歌
 
ばあちゃんの口癖♪
うがい、手洗い、にんにく卵黄♪
うがい、手洗い、にんにく卵黄♪♪
あぁ、ばあちゃんの言う通り、
あぁ、ばあちゃんにはかなわない♬
 
 
株式会社健康家族は、きっとご家庭あるあるを歌にしたのだ。おばあちゃんにはかなわない♪そうだそうだ
 
 やっぱり「卵かけご飯エピソード」で大爆笑し、彼をサイボーグからごく一般人に変換した意識は間違っていなかった気がする。おまじないはよくあることなんだよ。おばあちゃんのこと苦手とか言わないで!ネギマフラーのエピソード聞いてそんな驚かないで!
 
 
 魔女のおまじないは、各家庭にある優しさと奇妙さが混在した最強の治療法なのかもしれない。医学的根拠だけが、人を健康にするわけではない気がした。
 
 

咳をしても一人シンドローム

 

 最近「咳をしても一人」が、27歳女一人暮らしの生活にツッコんでくる。

 

 お風呂の温度を間違って、60度近いお湯に片足を入れてリアクション芸人みたいなことをしても「咳をしても一人」と。

 夜中、さしこみ痛に襲われて汗ダラダラになりながら薬を飲んでも「咳をしても一人」。

 羽◯結弦さんの記者会見をみて「この人は本当にシラフなのか!?」とテレビの前で騒いでも「咳をしても一人」と。

 アメトーク見てあははと笑っても「咳をしても一人」。

 

 一人暮らしの寂しさを煽ってくる「咳をしても一人」。

 多分今流行りのコロナウィルスに罹って、それこそ辛い咳をしていても「咳をしても一人」と冷たくツッコんでくるだろう。

 

 五七五のルールから逸脱したこの自由俳句、「孤独」を異常レベルでダイレクトに伝えてくる。

しかも正岡子規の横顔付きで。「咳をしても一人」と、耳元で呟かれる。やめて

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↑こんな感じ、うぜーーーー

 

 寂しさを助長してくる「咳をしても一人」。最近は特に寒いし、仕事も始まって疲れていたりすると、もう最悪。「咳をしても一人」のパレード。

 「咳をしても一人」の恐怖から、猫ちゃん飼いたいなあ、とか、もし今災害が起こったらこのまま私は一人で死んでいくんか!とか変なこと考えたりする。HPが残り少ないと良く起こる。(これはね、美味しいもの食べてたくさん寝れば直るんだけど)

 

 でも良く考えてみたら、お風呂上がりで裸のままアイス食べたり、明け方までゲームして昼頃起きる生活は自分の中で充実しているなとも思う。これは「咳をしても一人」と共存しているからこそ感じる事ができるハッピーなのかなとも思う。

 

自由俳句でしょ、ちょっと付け加えるわ、

「咳をしても一人、けどけっこう楽しい」でどうでしょうか。

 

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↑シッキーもニッコニコ!

 

 

ところで、

咳をしても一人の俳句ですが、

作者は正岡子規ではなく、尾崎放哉です。 

 

今日は終わりー!

カレーうどん先輩

 

先週の投稿、見直したけど最高につまんなかったなー

ちょっと今後構成いじるかもしれない。

 

 

カレー!

カレーの話です。今日は。

 

 カレーなんてみんな好きなんちゃうんか!?お夕飯がカレーだよと言われたら、誰もが家に早く帰りたくなる。「ジャワ派」か「バーモント派」で家庭内戦争が勃発するのも良くある話だ。みんなみんな、昔からカレーに夢中!カレー最高!

 

 当方学生の頃は、ルウを使わずにスパイスカレーを作る研究に励んだり、カレーを食べ歩くサークルに入っていたりと、カレーに時間とお金をかけていた。

 社会人になっても、下北沢のカレーフェスティバルは毎年のように参加してたし、神田や神保町の欧風カレーの美味しさも知った。美味しいねあれ

 

 しかしながら残念なことに、25歳を境にお腹いっぱいカレーを食べる事ができなくなった。油っぽく感じてきたのである。

 大学の頃から付き合っていたカレーサークル出身の彼と別れる頃には、カレーは自分が食べたいと思う6割が限界であることが分かっていた。好きだけど食べきれない。エスニックカレーは浮いている油を避けてナンをつけていたし、おうちで作るおうちカレーも薄味にしていた。かつてはCoCo壱も5辛〜6辛をペロッと食べていたのに、3辛でも舌がバグるように。辛さにも弱くなっていた。

 

 もうあの頃の胃袋の強さと味覚、そして青春は戻ってこない、カレーさよなら!と言わんばかりにカレーサークルの彼と別れたすぐあと、ずっとコンプレックスだった歯列矯正を始めた。

 歯列矯正を始めるにあたって、注意しなければいけないことのひとつとして、特にカレーは矯正器具に強く着色してしまう食べ物であるので気をつけなければならない、ということが挙げられる。この事は元々から知っていたが、もう昔のようにカレーを頻繁に食べることはないからいいだろうと腹を括って施術を始めた。カレー自体は好きだったので少し寂しかったけど、自分にとって歯列矯正を始めるのに一番いいタイミングだったと思う。歯列矯正とカレーは相性は悪い。

 

 それ以降、カレーに対するこだわりや執着心はなくなったと思う。

 

そして先月、2年という月日を経て、矯正器具がとれた!

(厳密にいうと、リテーナーになった)

 

 着色を気にしてご飯を選ばなくていい事が一番嬉しかった。実はカレー以外にも、トマト系のパスタやコーヒー、チョコレートも着色を懸念して控えていた。

 矯正器具が取れた後、全部食べたよ!嬉しかったなーーーー

 

 そして先日、ルウを使っておうちカレーを食べた!

 美味しかった!いや実は厳密にいうと矯正してた間もカレーを全く食べてないってわけじゃなかったけど。少し食べてたけど。矯正取れた後のカレーうめえー!!!!うますぎ

 

 でもやっぱり油っぽさで食べきれなかった。なんなら矯正していたこの2年間で胃がさらに弱くなっていたことがわかった。

2日間カレーが続いた頃、カレーをカレーライス以外で食べる方法を探していた。そして辿り着いたのが、

 

カレーうどん先輩!

 

 

 カレーと出し汁で割ったスープは油っぽく感じなかったし、うどんも柔らかくてより胃に優しい感じ。フーフーしながら、スープを跳ねるのも気にせず啜って食べるのがめちゃくちゃ美味しかった!体がぽかぽか〜

  

 カレーうどんの良さに気づいてしまったのです。

 

 わたしは今までカレーが好きだったのにも関わらず、お蕎麦屋さんや定食屋さんで「カレーうどん」を頼んだことはなかった。なんならカレーうどんを下に見ていた。ナメてた。

 「なんでもカレーをかけりゃあいいもんじゃないやい」

 「カレーうどんは服にはねるから候補外かな〜」

 「カレーうどん食べるなら、最初からカレーライス頼みます」

 きっとこんなことを言われるたびに、カレーうどん先輩は調理場の隅で「好きなやつに食べて貰えばいいから」とつぶやき、寂しそうな顔をしていたんだろうなあ。

 ごめんね先輩。先輩がどのお蕎麦屋さんのメニューにも、お名前が載っている理由が分かりましたよ!これは美味しいです。

 カレーそばがない理由も逆に分かった。これは「カレー」と「うどん」だから成り立つ料理だ。

カレー&うどんじゃなくて、カレーうどん。これは「カレー」と「うどん」が完全に一体化した美味しい美味しい料理なのであった‥

 

 カレーうどん先輩かっけえ。目立たないものの、実力は確かにある。

 決して驕ることなく、ドンと構えているその姿!

 わたしは先輩の格好良さに気づいてしまった!

 昨日もCoCo壱のカレー出前しちゃったけど、やっぱり食べきれなくて

 残りはカレーうどんにしたよ!

 

 カレーうどん専門店があるようだ(今調べた)

今度行ってみようかな。スパイスカレーと掛け合わせたうどんもあるみたい!

でもわたしが思うカレーうどん先輩じゃなかったらどうしよう、ちょっと刺激的でギラギラしてたらそれはちげえ。

 

 

 

みんな、話聞くスイッチっていつオンにしてるんや

 

「人は、自分が思ってるほど話聞いてないから」

と、友達が言ってた。

 

 営業マンの心がこもっていない相槌、カフェで愛想笑いしながら彼の話を聞く彼女の姿を見たら確かにそうだな、と感じる。みんな人の話聞いてないかも。

 そう思ったら、自分の話も聞いてくれてない人が今までに何人いただろうか!と、少し寂しくなったが、反面自分も大切な人以外の話は基本聞き流してもいいかもなあと肩の力がスッと抜けた。会話というのはお互い”そんなもん”であると期待しなければ、いろいろ楽になる。

 私の場合は、自分の大切な人との会話こそ大事にしたいと思っている。それ以外は、真面目に対応していたら疲れてしまうから諦める。自分にとってその話し手は大切な人かどうか判断してから、話を聞くスイッチを入れればいいんだな!と分かった後からいろいろ楽になった。中学生の時の気づきである。

 ※私の場合、大切な人というのは、プライベートで付き合いのある人だよ!

 

 しかし話し手が「大切な人」でなくても、自分にとって重要度の高い会話がなされている場合が意外と多く、話を聞くスイッチの入れるタイミングを逃してしまう事がある。結果「お前話聞いてないもんな」と会社で上司に笑われた事がある。バレてら。

 平日に会う人は、自分にとって「大切な人ではない」とナチュラルに区別していたのである。

 

 前職は営業だったため、人の話を聞く機会が多く、少々疲れることもあったが、ほとんどの取引先からの話は聞き流していた。聞き流してもリズムのいい相槌を活用すればどうにかそれなりにいいコミュニケーションを築けることを知ってしまった。話聞くスイッチを完全にオフにしていた。しかしそれが原因となりクレームを起こしたこともある。その一つが以下のようなものだ。

 

 ある日、私の取引先一部店舗で強烈な違反行為がなされていたため、私が今すぐ中止してくださいと警告をしたところ、

「営業さん(私のことです)が許可した案件だったからできると思ったのに、今すぐやめてくださいってどういうことですか!」

と激怒され、上司と一緒に取引先に謝りに行った事がある。

 クレームを受け取った私の上司に「お前(私のことです)、取引先にこんな案件許可したのか?」

と詰められたが、私としては許可した記憶が全くなく、

「そんな誰もが分かる違反行為を許可するはずがないっす。多分。というか、そんな話聞いた覚えがないです。多分。

と返した。

上司は「お前(私のことです)、普段人の話聞いてないから…言った言わないの真実は分からないけど、取引先だからとりあえず今から謝りに行かなきゃな」と。

 当時私は、そんな違反案件を許可した覚えないけどな、と首を傾げながら謝罪をしに行ったが、取引先からすれば自分はとんでもない営業マン(ウーマン)だったと思う。クレームが起こすのも当たり前だ。私が許可した案件を一生懸命実施していたのに、それが実は違反行為であり、許可元の私から最終的に警告をされてしまうのだ。(今でもその案件、許可した覚えはないんだけど。)

 ここで1番の問題は、私が許可したか否かではなく、私自身「許可してません。そんな話は来ておりません。」と断言できる自信がなかったことである。普段話をきちんと聞いていれば、断言できたはずだ。上司も断言できない私に対して呆れていた。断言ができないから、モヤモヤした気分で中途半端に謝りに行くことになる。

 なんで職場で話を聞いていないと上司に言われてしまったのかと考えた時に、「そういや平日は人の話聞くスイッチオフってたわ」と気づくのである。「話聞いていない」は、営業職としては致命的な欠陥だった。これ営業職だけじゃないけどさ。

 

 

 そういえば高校の時もそうだった。

 

 数学の課題で何一つとして分からない問題があり、職員室に出向いて数学の先生に課題の解説をしてもらっていた時。

 

先生「摩訶般若波羅蜜大明呪経…

 

 先生が解説している最中、私は死ぬほどテキトーーーーーーーな相槌を打って、その時間と空間をただ過ごしてしまった。もう勘のいい人は気づくかもしれませんが、この時も完全に話聞くスイッチをオフったまま、職員室に自ら出向いてしまったのです。

 解説が終わった先生に、質問はないかと聞かれ、「特にないっす」と回答し(話聞いてないんだから当たり前)職員室からでて教室へ戻り、課題に手をつけようとした瞬間、何も解決していないことに気づいた。その時頭に残っていたのは「ブルースに顔似てんなあ」である※。(※ファインディングニモに出てくる悪役のサメ)頭の中にインプットされたのは、数学の解説ではなく先生の顔画像だった。

 

 本当何しに職員室まで行ったんだろうな。忙しい先生の時間を返してあげたい。

 もしかしたらブルースがヒントになって解けるかも!と、数学のノートの表紙にサメを描いたが、何も思いつかなかったため、反省して話聞くスイッチをオンにして再び職員室に足を運んだ。先生はびっくりしてた(でも許してくれた)。

 本当スーパーウルトラ馬鹿野郎である。現役で志望校に合格できなかったのも今なら納得できる。先生ごめんぴ。先生の授業や話をちゃんと聞いときゃよかったよ。

 

 私は冒頭で、話し手が自分にとって大切な人かどうか判断してから、話聞くスイッチを入れるか判断していくと書いたが、話聞くスイッチをオンにするきっかけは「話し手が大切な人かどうか」だけではなく「その話が自分にとって大切かどうか」ということも判断材料にしなければいけないと気づいた。(改めていうけど、当たり前のことなんだよな)だからたびたび重要な会話にエラーが起きてしまう。

 

 また、冒頭に書いた「人は、自分が思っているほど話聞いてないから」という言葉を誤解していた。

「話し手も聞き手に期待せずに話してるんだよ。だったら聞き手もテキトーに頷いてりゃいいんだよ。お互い”そんなもん”なんだよ、ガハハ」

 と、かなり曲がった考えを持っていた。曲解。そもそも「人は思ってるほど話を聞いてない」は、あくまでも話し手視点の話であって、聞き手はまた別問題だ。都合の良いように、拡大解釈している。

 また話し手がみんな「人は思っているほど話を聞いてない」の考えを持っているわけではない。人によって価値観や考えはそれぞれあることを無視しすぎ。聞き手に話の理解を期待してる人もいるかもしれないのだ。もう少し柔軟な考えを持とう、自分。

 

 私の「大切な人以外の話はシャットアウト!」「平日は話聞くスイッチ、オールオフ!」の自分ルールは非常に身勝手で、そのコミュニケーションが重要な情報かどうか考えることを放棄している。そんな自分ルール、自分のためにならない。どちらかというと縛りルールではないか。大事な商談内容を聞き流し、数学の先生の話も頭に入れない。話を聞かないという縛りルールだ。

 

ここまで書いて思ったけど、冒頭に言ってることの全否定が結論になってる(笑)

そんでもって、否定しまくったけど「こうしたらいい」みたいな解決策や正解もない気がする。危険ブログ

 

 

k=1例えばの話。

大切な友人がベロベロに酔っ払いながら「人生とは、修行である。なぜならばー」となんとなく深くて重要そうだけど、聞いたら中身なさそうな話題が切り出されようとした時、話聞くスイッチはオン?オフ?

 

 話聞くスイッチをオンにするべききっかけは、話し手が「自分にとって大切な人かどうか」、「その話が自分にとって大切かどうか」の他にも「さまざまな環境要因」が加えられていく。ああああそんなこと言い始めたら、話聞くスイッチはいつオンにすればいいのだろうか。むずくね。

 

ちなみに、今の私の価値観なら、

大切な人が酔っ払いながら「人生は修行である。なぜならばー」と話をしてきたら100%聞いちゃうと思う(笑)面白そうだし。

 

 

 

 

ちびまるちゃんのうきゅきゅ〜を言いたい

 

とっとこハム太郎が好きだった!

 90年代から00年代にかけて、かつて「とっとこハム太郎」は全国女児の心を鷲掴みし、一世を風靡していた。

 ハムスターを主人公にするアニメは当時なかったように思うし、多数いるキャラクターから推しハムを見つけるのも楽しかった。そしてなにより全てがかわいいのだ。テーマソングもハム語も今でも覚えている。

 ハム太郎シリーズのゲームも、唯一無の神アドベンチャーゲームだと今でも感じている。

 

 

 27歳女が「とっとこハム太郎」を振り返っていきたいと思う。恐ろしいほど鮮明に覚えているハム太郎エピソードがある。

 

 年中の頃、園内で流行った「ハム太郎ごっこ」の話。

 ハム太郎ごっことは、ハムちゃんずになりきって遊ぼうというノリで生まれた、おままごと遊びである。(※ハムちゃんずとは、ハム太郎はじめとする10匹以上のオスメスが集うサークルである)

 まずハムちゃんずの中から役をきめる。園児大勢が参加するため、志望している役がダブってしまうことが多く、ほとんど最終的にジャンケンで役が振り分けられるシステムだった。特にマフラーちゃんなどは高倍率だった。

 当時からわたしはごっこ系の遊びが苦手であったため、役決めに関してはそれほど前のめりになれなかった。役決めで大盛り上がりしている集団圧力に押されたままだった。その時はボーッとしていたら、いつの間にか「ちびまるちゃん」を任されることになったのを覚えている。

 ちびまるちゃん役は、悪い気はしなかった。とってもかわいらしいキャラクターなのです。黄色い頭巾を被っているミステリアスなビジュアルもいいと思っていたし、何より女の子のキャラクター役になれたので良かった。マフラーちゃん落ちの女の子は、たしかメガネくんとかやらされていたので、ちびまるちゃんはそれに比べたらアタリだろうなと。

 しかし、ごっこ中は本当にキツかった。多分わかる人も多いと思うが、ちびまるちゃんは「うきゅきゅ〜」しか話してはいけない。ハム太郎役が、そこらへんの石ころを持ってきて「ひまわりの種なのだ」と言っても「うきゅきゅ〜」としか返事ができない。  

 上記にも述べたが、わたしはごっこ遊びが苦手であったためとにかく役に気が入らなかった。年中で物心もついているところで「うきゅきゅ〜」は苦行でしかない。

 喜ぶ時は「うきゅきゅー!!!!」悲しい時は「うきゅ…」。(本当にきつかったです)

 ちびまるちゃんの役が余ってしまう理由もわかった気がした。なんで役決めの時、ボーッとしてしまったのだろうと激しく悔やんだ。素早く手をあげて「トラハムちゃんがいい!」っていえば良かった。リツコー!!ああリツコ、どうにかしてくれ!と何回も心の中で河井リツコ先生の名を呼んだ。

 

 遊び時間早く終わらないかなあと思っていた頃、リボンちゃん(だったと思う)が「大縄跳びするでちゅわ!」と遊びを提案してきた。ちびまるブルーに襲われていたわたしはうきゅきゅ〜の呪いからついに自ら身を剥がし、「やるやるー」と思いっきり返事をした。もう疲れていたのだ。恥ずかしさが限界に来ていた。てかそもそもみんな、「うきゅきゅ〜」に期待してないでしょ!誰も聞いていないでしょ!と心で唱え、大縄の方へ駆けて行った。

 束の間、隣にいたマフラーちゃんから言葉使いの注意を受けてしまった。

 

 悲しい。うきゅきゅ〜と言うのはもちろん恥ずかしかったけど、そもそもうきゅきゅ〜を言うことを恥ずかしいと思っていることがバレてしまったことがとにかく恥ずかしかった。マフラーちゃんの注意には小声で「うきゅ…」と返事をした……。大赤面。

 今思うけど、ちびまるちゃんはいいよねえ。だって頭巾被ってるから赤面顔を他の人に見られなくて済むじゃん。もしかしてちびまるちゃんも「うきゅきゅ〜」って言うの恥ずかしいと思ってるのかな。だから頭巾かぶってんのかな。どうなんだい、ちびまるちゃん

 

 

 27歳女、最近アウトプット能力があまりにも乏しいことが悩みである。会社で説明を求められたときに、わかりやすい説明ができないことがよくある。アウトプットができない姿は「勉強不足です」と、恥を晒しているのと同等だ。責任感もないように見える。社会人がもっとも避けるべき姿だと感じている。みっともないのだ…

努力をせねば、でもめんどくさいなー

 今こそちびまるちゃんになって、全ての返しを「うきゅきゅ〜」で許してもらいたい。