週末!30歳カウントダウン

スーパーつぶやき

みんな、話聞くスイッチっていつオンにしてるんや

 

「人は、自分が思ってるほど話聞いてないから」

と、友達が言ってた。

 

 営業マンの心がこもっていない相槌、カフェで愛想笑いしながら彼の話を聞く彼女の姿を見たら確かにそうだな、と感じる。みんな人の話聞いてないかも。

 そう思ったら、自分の話も聞いてくれてない人が今までに何人いただろうか!と、少し寂しくなったが、反面自分も大切な人以外の話は基本聞き流してもいいかもなあと肩の力がスッと抜けた。会話というのはお互い”そんなもん”であると期待しなければ、いろいろ楽になる。

 私の場合は、自分の大切な人との会話こそ大事にしたいと思っている。それ以外は、真面目に対応していたら疲れてしまうから諦める。自分にとってその話し手は大切な人かどうか判断してから、話を聞くスイッチを入れればいいんだな!と分かった後からいろいろ楽になった。中学生の時の気づきである。

 ※私の場合、大切な人というのは、プライベートで付き合いのある人だよ!

 

 しかし話し手が「大切な人」でなくても、自分にとって重要度の高い会話がなされている場合が意外と多く、話を聞くスイッチの入れるタイミングを逃してしまう事がある。結果「お前話聞いてないもんな」と会社で上司に笑われた事がある。バレてら。

 平日に会う人は、自分にとって「大切な人ではない」とナチュラルに区別していたのである。

 

 前職は営業だったため、人の話を聞く機会が多く、少々疲れることもあったが、ほとんどの取引先からの話は聞き流していた。聞き流してもリズムのいい相槌を活用すればどうにかそれなりにいいコミュニケーションを築けることを知ってしまった。話聞くスイッチを完全にオフにしていた。しかしそれが原因となりクレームを起こしたこともある。その一つが以下のようなものだ。

 

 ある日、私の取引先一部店舗で強烈な違反行為がなされていたため、私が今すぐ中止してくださいと警告をしたところ、

「営業さん(私のことです)が許可した案件だったからできると思ったのに、今すぐやめてくださいってどういうことですか!」

と激怒され、上司と一緒に取引先に謝りに行った事がある。

 クレームを受け取った私の上司に「お前(私のことです)、取引先にこんな案件許可したのか?」

と詰められたが、私としては許可した記憶が全くなく、

「そんな誰もが分かる違反行為を許可するはずがないっす。多分。というか、そんな話聞いた覚えがないです。多分。

と返した。

上司は「お前(私のことです)、普段人の話聞いてないから…言った言わないの真実は分からないけど、取引先だからとりあえず今から謝りに行かなきゃな」と。

 当時私は、そんな違反案件を許可した覚えないけどな、と首を傾げながら謝罪をしに行ったが、取引先からすれば自分はとんでもない営業マン(ウーマン)だったと思う。クレームが起こすのも当たり前だ。私が許可した案件を一生懸命実施していたのに、それが実は違反行為であり、許可元の私から最終的に警告をされてしまうのだ。(今でもその案件、許可した覚えはないんだけど。)

 ここで1番の問題は、私が許可したか否かではなく、私自身「許可してません。そんな話は来ておりません。」と断言できる自信がなかったことである。普段話をきちんと聞いていれば、断言できたはずだ。上司も断言できない私に対して呆れていた。断言ができないから、モヤモヤした気分で中途半端に謝りに行くことになる。

 なんで職場で話を聞いていないと上司に言われてしまったのかと考えた時に、「そういや平日は人の話聞くスイッチオフってたわ」と気づくのである。「話聞いていない」は、営業職としては致命的な欠陥だった。これ営業職だけじゃないけどさ。

 

 

 そういえば高校の時もそうだった。

 

 数学の課題で何一つとして分からない問題があり、職員室に出向いて数学の先生に課題の解説をしてもらっていた時。

 

先生「摩訶般若波羅蜜大明呪経…

 

 先生が解説している最中、私は死ぬほどテキトーーーーーーーな相槌を打って、その時間と空間をただ過ごしてしまった。もう勘のいい人は気づくかもしれませんが、この時も完全に話聞くスイッチをオフったまま、職員室に自ら出向いてしまったのです。

 解説が終わった先生に、質問はないかと聞かれ、「特にないっす」と回答し(話聞いてないんだから当たり前)職員室からでて教室へ戻り、課題に手をつけようとした瞬間、何も解決していないことに気づいた。その時頭に残っていたのは「ブルースに顔似てんなあ」である※。(※ファインディングニモに出てくる悪役のサメ)頭の中にインプットされたのは、数学の解説ではなく先生の顔画像だった。

 

 本当何しに職員室まで行ったんだろうな。忙しい先生の時間を返してあげたい。

 もしかしたらブルースがヒントになって解けるかも!と、数学のノートの表紙にサメを描いたが、何も思いつかなかったため、反省して話聞くスイッチをオンにして再び職員室に足を運んだ。先生はびっくりしてた(でも許してくれた)。

 本当スーパーウルトラ馬鹿野郎である。現役で志望校に合格できなかったのも今なら納得できる。先生ごめんぴ。先生の授業や話をちゃんと聞いときゃよかったよ。

 

 私は冒頭で、話し手が自分にとって大切な人かどうか判断してから、話聞くスイッチを入れるか判断していくと書いたが、話聞くスイッチをオンにするきっかけは「話し手が大切な人かどうか」だけではなく「その話が自分にとって大切かどうか」ということも判断材料にしなければいけないと気づいた。(改めていうけど、当たり前のことなんだよな)だからたびたび重要な会話にエラーが起きてしまう。

 

 また、冒頭に書いた「人は、自分が思っているほど話聞いてないから」という言葉を誤解していた。

「話し手も聞き手に期待せずに話してるんだよ。だったら聞き手もテキトーに頷いてりゃいいんだよ。お互い”そんなもん”なんだよ、ガハハ」

 と、かなり曲がった考えを持っていた。曲解。そもそも「人は思ってるほど話を聞いてない」は、あくまでも話し手視点の話であって、聞き手はまた別問題だ。都合の良いように、拡大解釈している。

 また話し手がみんな「人は思っているほど話を聞いてない」の考えを持っているわけではない。人によって価値観や考えはそれぞれあることを無視しすぎ。聞き手に話の理解を期待してる人もいるかもしれないのだ。もう少し柔軟な考えを持とう、自分。

 

 私の「大切な人以外の話はシャットアウト!」「平日は話聞くスイッチ、オールオフ!」の自分ルールは非常に身勝手で、そのコミュニケーションが重要な情報かどうか考えることを放棄している。そんな自分ルール、自分のためにならない。どちらかというと縛りルールではないか。大事な商談内容を聞き流し、数学の先生の話も頭に入れない。話を聞かないという縛りルールだ。

 

ここまで書いて思ったけど、冒頭に言ってることの全否定が結論になってる(笑)

そんでもって、否定しまくったけど「こうしたらいい」みたいな解決策や正解もない気がする。危険ブログ

 

 

k=1例えばの話。

大切な友人がベロベロに酔っ払いながら「人生とは、修行である。なぜならばー」となんとなく深くて重要そうだけど、聞いたら中身なさそうな話題が切り出されようとした時、話聞くスイッチはオン?オフ?

 

 話聞くスイッチをオンにするべききっかけは、話し手が「自分にとって大切な人かどうか」、「その話が自分にとって大切かどうか」の他にも「さまざまな環境要因」が加えられていく。ああああそんなこと言い始めたら、話聞くスイッチはいつオンにすればいいのだろうか。むずくね。

 

ちなみに、今の私の価値観なら、

大切な人が酔っ払いながら「人生は修行である。なぜならばー」と話をしてきたら100%聞いちゃうと思う(笑)面白そうだし。