週末!30歳カウントダウン

スーパーつぶやき

ゼルダの伝説の解説動画を見たが、難しすぎた

 

 題名でネタバレしてるあたり、本当にやる気のないブログだと思う(笑)今週も書いていきます。

 

 当方、27歳女はドラクエ、FF、ゼルダキングダムハーツこれらを一切触った事がない。これからも自分から触りに行く予定はない。理由は特にないが、これらをやり始めたら外の世界に出なくなりそうな気がしてならない。部屋で一日中時間を過ごし、現実世界で魔法攻撃を試みたりしてしまいそうな気がする。これらゲームは、共通して世界観が出来上がりすぎている。飲み込まれる。

 

 その中で、今日はゼルダの話。

 ゼルダに関しては、ゲーム実況で何個か見た事があるが、まっっっっったくストーリーが頭に入ってこない。風のタクトムジュラの仮面時のオカリナなど今まで幾度なくリンクを操作する画面を見てきたが、全くだ。何も頭に入ってこない。

 

 歴代ゼルダの伝説シリーズを解説してくれる動画見ることにした。

 浪人生が予備校で、パソコン授業を受けるような姿勢でがっつり見てしまった。内容はここでは言わないようにしとく。

 

 感想としては、歴代ゼルダを理解するのめちゃ難しい。(動画投稿者の解説が原因ではない。むしろ分かりやすかった。)

 シリーズによって時代が違うし、フィールドが違う。しかしシリーズを交わして、伏線回収や、考察が生まれている。確かに面白いが、理解することに時間が必要な気がする。何回動画を一時停止したことか。世界史の授業の感覚に似ていた。戦争、文化、信仰、それに加えてファンタジーだからな。プロデューサーさんはすごいで、ほんま。

 

 ちなみに今までゼルダの実況を見ても、何も記憶に残らなかったとは言ったが、ムジュラの仮面は結構強烈だった。頭の中で覚えているものだけ、画像貼り付けてもいいですか。

 

 

紹介するわ、

 

激おこの月

 

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なぜ、怒っているかは分からないが、

ゲームのオープニングからもうすでに怒っている。

 

 

 

激おこの月を止める巨人

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 ビジュアルめちゃきもなんだけど、月を止めようと努めてくれた。月を止めようとするムービー中、この美脚がプルプルしてたゾ。

 

 

 

 

ムジュラの仮面

 

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 ムジュラの仮面から、美脚が伸びて虫のようにカサカサ動くんだけど、これが不気味で、でもねすごく心躍った。わたしはこいつを心に飼いたいと思ったキモさだった。これもう一回見たいな。

 

 

 

以上3つ、紹介できて満足。

 ゼルダはシリーズで物語も異なるけど、雰囲気も異なるらしいです!ムジュラの仮面は少しトラウマになっちゃう人も多いらしいけど、だからこそ記憶に残るんじゃないかな。

 

 題名から外れた内容になってしまいましたね。

ちなみに、歴代ゼルダの理解よりも、歴代キングダムハーツの理解の方がわたしは難しいと思います!あのゲームをわかりやすくアウトプットできる人は、なかなかいないと思う。

 

ゲーム実況でゲームを理解しようとするところが邪道と言われたらそこまでです。

 

 

 

今日はおわりー!疲れた。

最近毎日眠いなー。

刃牙、ジョジョ、カイジの共通点

 

「異常に楽しそうに話してる奴らの話題は、高確率で

刃牙ジョジョカイジ」説

 

 お昼休み、教室でいつもよりテンション高めで騒いでいる人間の話題はだいたい刃牙ジョジョカイジ

 普段そんなに仲良くない二人がコソコソ嬉しそうに話している話題はだいだい刃牙ジョジョカイジ

 例えツッコミで大爆笑とった時、例え先の引用はだいたい刃牙ジョジョカイジ

 

 ワンピースでもNARUTOでも、ドラゴンボールでもなく、(HUNTER×HUNTERはワンチャンある)彼らがドっと盛り上がるあの瞬間の話題は高確率で、刃牙ジョジョカイジなのである。これはなぜか。どうしてなのか。

 

 そしてもうひとつ共通点。

 刃牙ジョジョカイジファンに、

「(刃牙ジョジョカイジ)見たことないんよ!見てみたいな〜」

と言うと、必ず「とりあえず見てみ」とだけ返される。彼らはこれ以上は何も言われないのである。どこが面白いのか、誰がかっこいいのか、そもそもなんの話なのかさえ話そうとしないのである。なんならこれらを質問しても、やはり「とりあえず見てみ」としか返してくれない。あれってなんなん。渋すぎでしょ!

 

 世界観が難しい?

 絵柄が独特なのが関係している?

 

 いろいろ考察してみたが、一番自分の中でしっくりきた考察は、刃牙ジョジョカイジファンの間で「見たいやつが好きな時に見るコンテンツ」というスタンスが共有されているのではないか、というところだ。

 話冒頭、ワンピースの話を自ら展開してくる人はよくいる。しかし、自ら刃牙ジョジョカイジを話題として持ってくるやつはそうそういない。聞き手の、刃牙ジョジョカイジの知識量を当たり前のようにゼロでカウント。相手に期待せず、知る人ぞ知るコンテンツであると捉えているように見える。頭の悪い例えになるが、いわゆるthe・サブカルチャーの立ち位置なのであろう。(サブカルの概念は複雑なので自信ない)多分。

 刃牙ジョジョカイジのファンは、これらのコンテンツの面白さを他人に見せびらかす事なく、自分の心の中にそっとしまっている。だからこそ他愛のない話の中に、刃牙ジョジョカイジの影がチラリと見えると、強烈に反応してしまう。「え!お前も見てたん?」「わかるわかる」となってしまうのだろう。

 そして、何よりこの現象はわたしにとって、非常に羨ましいのだ。

 

 そう、わたしはここまで書いていてなんだが、刃牙ジョジョカイジに触れたことが、これまで一度もない。何人かの会話の中で、刃牙ジョジョカイジで盛り上がられると、その時間、仲間外れにされた気分になってしまう。

「くそう、なんで今まで刃牙ジョジョカイジを見なかったんだ…!こんなに楽しそうに話しているこの人たちの会話に入りたい!入りたいッッ…!!!」←気持ちは寄せてる

 と、なってしまう(笑)後悔をし始めるのだ。

 挙げ句の果てに「刃牙ジョジョカイジ、私も見てみようかなあ」と彼らに言うと、例の如く「見てみ」と、クールに返されてしまう。これがもう、悔しいのなんの!

 

 「刃牙ジョジョカイジ以外にも、花より団子のドラマとか、ジャニーズとか、鬼滅の刃などのコンテンツで、ファンが楽しそうに話しているシチュエーションもあるやんけ」と思っている人がいたら、それは違います。それらのコンテンツで盛り上がるレベルと、盛り上がるベクトルは、わたしが話に加わりたくなるようなテンションではないのです。刃牙ジョジョカイジは、特別なのです。

 

 ちなみに刃牙ジョジョカイジに近いところで、似たような盛り上がり方をするコンテンツの中でわたしが唯一会話に参加できるのは、テニプリだ。

 許斐剛先生はね、マーケティング能力えぐいと思います。

 

テニプリ、見てない人は、とりあえず見てみ。

 

 

おわりー!

 

 

 

 

 

 

 

 

す○家のお持ち帰りが買えなくて泣きながら退店した話

 

 店内にいるのは、カウンター席で、牛丼をかっこむ人間のみ。そんな環境下で起こった「どうすればお持ち帰り用牛丼を買えるか問題」である。

 

 本来であれば、分からないことはその場の誰かに聞けばいいのだが、その場にいるのは、牛丼を一心不乱に無言で食しているお客さんのみ。

 彼らはおそらく、牛丼を食べるためにこの世に生を受けた…。牛丼を食べることに自分の人生を掲げている人に「お持ち帰りの牛丼はどのように買えばいいのか」と尋ねることは、もちろんできなかった。失礼である。そんなことを聞いたら、彼らの人生もわたしの人生も何もかも終わる気がした。

 店内はどんぶりにお箸が当たる「カチャカチャ」と言う音と、米を「フッ、スー」と吸う不気味な音のみが響いていた。

 

 店員を探した。しかし、なぜか店員の姿がなかったのである。無人す○家なんて存在するのか?と疑ったが、この時代、知らぬうちにあらゆる工程が「自動化」される事がよくある。絶対ありえない話ではないと確信した。しかし食券機やタッチパネルなどは見当たらない。また、持ち帰り用の人専用レジが外にある場合も考えて、エントランス付近も確認した。しかし見当たらない。

 

 どうしようと考えている時に、牛丼をかっこむ人間のうち数人がわたしの存在に気づき始めた。お箸でご飯をかき集めながら、牛丼を咀嚼し、こちらをチラチラと見ているのである。ひえ〜!!!見ないでよ!

 わたしは彼らに背を向けて泣いた

 

 静かに店を出た。完全敗北。(店内滞在時間、約20秒)

本当にここはす○家か?と確認したが、間違いはなかった。

 

 わたしはかつてす○家では、店員さんが水を持ってきてくれるタイミングで「牛丼の並ひとつお願いします」と注文をし、一人で黙々と食べ、また店内に置かれているテレビを見てひとりで笑っていたほど、す○家マスターしてたつもりなのに〜

  

「ただ牛丼を食べたかった」だけなのである。それだけなのだ。

 老害の気持ちが少しだけ分かった(笑)

 

 何か突破口はあったはずだ。レジの奥まで聞こえるように「すみませーん」って言うとかさ。でもちょっとその日は疲れていたし。考える事を放棄していた。何もかもタイミングが悪く、そのおおよそは自分の責任だ。「ただただ牛丼が食べたいのにどうして…!」は通用しないよなあ。

 

 情報格差社会とかなんとか言うけれど、結局は「人に尋ねる事ができるか」、「考えることはできるか」というところが、上手に社会を生き抜く術なのであろう。

 

 

 ちなみに

 今日行ったら、普通に買えたよ!

嬉しくて、おろしポン酢トッピングしました。

 

おわり

 

むしまるQとかいう番組

 

むしまるQ、結構好きだった!

 

 保育園に行く前とか、保育園から帰ったあと夕方頃に見たりしていた。NHK教育番組である。

 

 調べてみると、むしまるQは1999年〜2004年にかけて放送されていたそうだ。5年しかやってないのか。もっとやっていたような気がする。むしまるQを知っている世代は、今や三十路。

 

 

イカスミダ・タコスミダ【影山ヒロノブ

www.youtube.com

 

↑これ。一つ上の従兄弟のお兄ちゃんが全部歌えるって聞いて、すげー!と当時思ったっけ。影山さんが歌うとやっぱドラゴンボールっぽくなるのすごい。ロックな歌でタコとイカを紹介するの最強すぎる。園児の頃、この派手な音楽と派手なMVを見ながら登園前に朝ごはんを食べていたのを覚えている。ちなみにむしまるQ見て登園するときは、大体遅刻。

 

 

 

次これ

おれの推し曲、チェケラ!

あいつのなまえはナマケモノ

www.youtube.com

 

これ(笑)こおろぎさとみが歌ってる(クレヨンしんちゃんのひまわりの声優さん)。

今聴いてもいいな!みなさんにも聴いてほしいです。

 当時はサラリーマンがナマケモノを見て「いいなあ」って言う描写は意味分かってなかったと思う。今はわかるよ

こおろぎさん、声めちゃかわいいーー

おーいおーいナマケモノ

 

 

 懐かしさを感じると、胸がギュッとするな。むしまるQを見ていた頃は、たまごっちが欲しいのにどこのおもちゃやさんも売り切れで悔しくて泣いたり、その代わりポケモン言えるかな(イマクニ)のCDを買ってもらったりした。

 

 ここら辺のコンテンツって振り返るの好きで、ブログにも書き残したいとは常々思っているのだが、27歳女にはノスタルジーを感じると寝込んでしまう習性があるので、まだできない(でもいつか書くつもり)。今日のむしまるQも結構キテる(笑)

 

 

 今日はここまで。

みんな大好きハローマックを貼り付けておきます。

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おもちゃのハローマック - Wikipedia

 

 

ハローマック、全国閉店しちゃたんだよ。

これも悲しいよ。

 

 

 

自己確立できている人は、色気がある

 

今日、日本一を決めるハンドボールの大会を見に行った。

 

 わたし自身、小学校から何かしらスポーツをわりと真面目に取り組んでいたため、スポーツをする人のかっこよさはよく目にしてきた。スポーツそのものだけではなく、スポ根漫画も、スポーツ観戦も結構好きである。特に球技。高校はハンドボール部に入っていたため、今日の試合は本当に楽しかった。

 

 スポーツする人のどこがかっこいいのかと聞かれると、わたし自身が、スポーツに勤しんでいる頃から常に居心地の悪さを感じていた「体育会系の世界に生きる事ができる」ところだろう。わたしは体を動かすのは好きなのに、そのしきたりに何度も疑問を覚えたことがある。

 

コーチに「返事をしろ!」と怒られ、

「はい」と返事をしたあと

「はいじゃねえよ」と怒られた時は、

首を傾げて「へい」と返事をしてさらに激怒された。

小学校のミニバスの時の話。今は笑い話。

 

 例え話がアホらしいものにはなるが、こういうところなのである。スポーツをするということは、わたしにとってよく分かんないことが多いのだ。それを耐える事ができる人/いちいち気にしないメンタルを持てる人は非常に尊敬しているのだ。そう、自分ができないことをスルッとこなせる姿がカッコよくみえるのだ。正直、たまに憧れる時もある。

 

 (少し話が変わる。)

そして特にスポーツをしているの中でも、カッコ良いポジションがわたしの中で確立している。それは「司令塔」や「策士」だ。

 

 野球ではキャッチャー、サッカーではMF、バスケやハンドではPGまたはセンター、バレーはセッター、テニスは前衛、力任せなプレイをしない、など。

 

 派手さはないけど、自分の仕事をきちんとこなす。非常に渋い。それがいいのだ。体も動かせるけど、常に「考えている」姿が良い、すごくいい。決めるときは決める。主人公にアシストする脇役はまるでシカマル。こういうタイプは、意外と部長になったりしちゃう。スポーツIQが高い選手というのは、わたしにとってそれ以上にかっこいいことはないのだ。

 

 大きくいえば、スポーツだけではないかもしれない。自分の役割を「適職」であると判断し、頭を使って努める姿はかっこいい。自分の得意不得意を理解し、自分のできることを自分のできるやり方の中で実績を出す。そしてやがて、自分のやり方でプロになる。非常にシンプルな事なのに、なかなかできないのは自分の理想が邪魔するからであろう。

 

 自分のスタイルを見つけていくことが、わたしにとって割と大きな課題であるということは、中学の時から27歳になった今でも変わらない。自己確立ができない今は、理想を追っていいからさまざまな経験をして行きたい。それが自分にとって合う合わないをどんどん判断していきたい。

 

 自己確立できている人は、経験値が高いから発言に説得力がある。そこには自然な大人の色気があると思う。スポーツだけではなく、仕事でも、プライベートでも関係なく自分のスタイルを他者に表明できるのは、まじ峰不二子

 

 

 

 

 

ジブリ映画のトラウマ

 

 

 宮崎駿のあの世界観で、トラウマを覚えた人は何人もいるだろう。

人それぞれ「小さい時に見て、怖くてそれ以降見れなくなった」というのは少なくとも1つ2つあってもおかしな話ではないはずだ。

 

 例えば、もののけ姫。わたしは赤いミミズみたいな呪いがとにかく怖かった。シシガミの首を射止めるシーンも息を飲んだし、モロの首が飛んでくるシーンも「何で生首が飛んできたの」と騒いだことも覚えている。金曜ロードショーで観た後は怖くて眠れなかった。もう二度と見るものか、と誓ったものだ。

 しかし、大人になってからもののけ姫を見ると、呪いや祟り、それから自然と工業化の共存について少々理解が深まった(気がする)ため、以前より怖いと思うシーンは少なくなった。モロの首が飛んでくるシーンを「祟りを表現されている」と感心してしまうほど余裕を持てるようになった。とはいえ、一人でもののけ姫は正直見れる自信はないが。

 

 トトロだ。

小さい頃は何にも考えず口を開けてビデオを見ては、トトロの主題歌を歌い、いつか自分もトトロに会えるのではないかと夢見て、近所の林に遊びに行ったりした。ネコバスに乗ってみたい、トトロのお腹に乗ってみたい、まっくろくろすけを見てみたいなど、いろんなことを考えたものだ。しかし、トトロの場合は大人になった今こそ、見返すことができない。

 

 以下、完全に「私の話」になるが。

 まず一つ。トトロやネコバスって結局何だったんだというところだ。森の妖精にあたるものではあるという理解はあるものの、それらを主役に、そしてタイトルにするに値する彼らの情報が少なすぎる。それが怖いのだ。分からないから怖いのだ。もののけ姫も小さい時は「分からなかったから怖かった」のだ。トトロは、もののけ姫とは逆で、大人になった今こそ見る事ができない。多くの考察ができてしまうほど、物語に隙があるため、トトロの都市伝説は精度が高すぎる。(都市伝説は決して信じてはいないが)

 今トトロを見たら、シーンが一つ変わるたびに一時停止をして「何で?」と聞くと思うので、今後27歳女と一緒にトトロを見る人は要注意だ。映画に集中できないと思う。

 

もう一つある。サツキだ。

 しっかり者のサツキが「お母さん死んじゃったらどうしよう」と、カンタのおばあちゃんの前で子供のように大泣きするシーンが見てられない。あまりにも可哀想なのだ。嫌な顔ひとつ見せずにお父さんのお弁当を作り、眠くなって寝てしまう妹のメイを雨の中で負ぶってバスを待つ。お母さんの病院に電話するシーンなんかどこから見ても12歳には見えない。サツキが背負っているいろんなものが、すべて崩れ落ちるあのシーンは、本当に心が痛む。カンタのおばあちゃんに唯一甘える事ができて本当に良かったと思う。もしこの時、大人に甘える事ができなかったら、きっとサツキはその後、まともな成長を迎えることが難しくなったのではないか。ああブログを書いている今も泣きそうだ。あのシーンは本当にきつい。

 

 大人になると「物語中に不明点があることを知る」ことと、「今まで分からなかったことが理解できるようになった」ことによって、見方が変わるジブリ映画は出てくるはずだ。これは人それぞれあるかと思うので、「子供の時は◯◯だったけど、大人になって見てみると△△だな」というのをいろんな人に聞いてみたい。

 

 ちなみに、27歳女現在、ジブリ映画で一番好きな映画は何かと聞かれたら迷わず風立ちぬを選ぶ。映画館で見た後「結婚するならこういう人と結婚しなさい」と母親に言われたことも今でも覚えている。今でもその言葉に異論はないし、あのラブストーリーは言葉にするのがおこがましいほど大変素敵である。

 

 あと言い忘れたけど、トトロは結構所々BGMが不気味で怖い。久石譲宮崎駿の考えている世界観を100%知ることは私にとって一生不可能なのかもしれない。真の天才なのだと思う。すごいよね

チョコレート ひとりごと tonight

先日、バレンタインが近かったのでスーパーの板チョコが特売品として売られていた。

 

 わたしは自分で食べる用としてチョコを買おうとしていた。ブラックにしようか、たまにはホワイトを買って贅沢しようかチョコ売り場の前でぼーっと考えていたとき、「すいません」と声をかけられた。その女性は、チョコレートを手にとりたかったようで、ぼーっとチョコ売り場の前で突っ立っているわたしが邪魔だったのである。わたしは慌てて避けた。女性はペコペコしながら5枚ほど板チョコを掴みカゴに入れていた。こちらこそすみませんの気持ち。

 5枚か。生チョコか。ガトーショコラかもしれないなあ、と考えながらわたしはガーナのブラックチョコをカゴに入れ、レジに向かった。あの女性はきっとバレンタインチョコ作りをするに違いない。

 

 しかしすごいものである。日本には、チョコレートの行事ができてしまっているのだ。毎年毎年女の子はチョコレート作りに励むのである。日本のバレンタインは、お菓子メーカーの陰謀だ!って聞いたことあるが、どうなんだろうか。バレンタインは、クリスマス、お正月に次ぐ、大イベントだ。

 

 家に帰って、レシートをみながら家計簿をつける。今月は節約できそうなのは、食費かなぁ、とさっきスーパーで買った板チョコを食べながら支出額を記入した。それこそスーパー行くたびに板チョコを買っているわたしは、食費を節約するというより、もしかしたらチョコ費を節約すべきなのかもしれないと反省した。

 

 今こうやって、わたしに買われた「ガーナのブラックチョコレート」は「ガーナのブラックチョコレート」としてわたしの口に入っているけど、さっきのスーパーで出会ったあの女性は、きっと板チョコを違う食べ物に料理するのだろう。

「おんなじ原料なんだから、料理してもしなくても味は一緒だよーん」というわたしと

「愛という最高のスパイスをお前は知らんのか!」というわたしが頭の中で漫才を始めた。

 

 板チョコを1枚食べ終わったころ。ふと、「こんなに食べたら、いつか鼻血が出てしまうかもしれないな〜」と迷信も事実になることがあるかもしれないと考えた。チョコレートは大量の糖分、脂だってすごい。お菓子だから添加物やっ保存料も入っているだろうし、ゆくゆくは鼻血どころではなくなるかもしれない。基本、体によくはないだろう。(いろんな説あるけど)

 でも、チョコは作れない。市販の品質を疑って、手作りをするというのができない。カカオもスーパーに売ってないし、そもそも作るのに時間がかかるため、チョコを一から作るというのは非現実的な話である。もしチョコレートを簡単に作る事ができたとしたら、スーパーで出会ったあの女性は、板チョコじゃなくてカカオを買っていたかもしれない。愛を告白するために、カカオ豆を長時間すり潰し、湯煎し、時間をかけて特性チョコレートを彼に渡すだろう。

 

 人によって作るチョコレートの味が違うのもなかなか面白いのではないか。クックパッドで「チョコレート」と検索した時、「生チョコ」や「トリュフ」のレシピのほかに「簡単☆カカオと砂糖だけ!甘さ控えめチョコレート」などといったレシピ名で、チョコレートそのもののレシピがたくさん投稿されるかもしれない。おもしろい!

 チョコレートを簡単に自分で作れる社会になったら、お菓子メーカーは大打撃を喰らう可能性も出てくる。待てよ、陰謀って本当かも。こんなに気軽に安価に買えて、老若男女から好まれているチョコレートを簡単に手作りできる環境が未だにないというのは気味の悪ささえ感じる。え、このブログ消されるかな(絶対ない)

 

 おしゃれで高級なチョコレート、小さい頃から食べてた可愛いチョコのお菓子、これからは、俺流チョコレートも生まれるかもしれない。

 

 クックパッドを開きながら、生チョコのレシピを見る。

 材料の欄に「板チョコ4枚」と買いてあった。お菓子をお菓子で作っているように見える。というか、そもそもチョコレートは、もはや「お菓子」ではなく「調味料」に近い存在なのかもしれない。